そ6時間だ。耍麤gを殺した深山が現場をいつ頃立ち去ったのかは分からないが、夜の闇に包まれた中での行動になった事だけは間摺�い勝ぁ5比弧ⅴ廿氓喪楗ぅ趣嫌靡玀筏皮い抗Qだ。それに、6時間かかったとは言え、白出沢出合から新罰Ц撙蓼扦�1時間半は緩慢(かんまん)な林道歩きだ。白出沢出合まで無事下(お)りる事が出來れば、あとは何とでもなる。夜間の行動とは言え、人一人を殺す事に比べれば造作(ぞうさ)も無かっただろう。これで、10月11日の謎も解けた。しかし、それでも越えねばならない最後のトリックがまだ殘されている。それをどうやって突き崩していくか???
新罰Ц攛嘯攻咯‘ミナル前の日帰り溫泉で急ぎ汗を流し、慌ただしく晝食を済ませた俺は、午後1時55分発のバスへと飛び仱搿M局小⑵綔�氯�莵り換え、松本バスタ��攛聖毪刈扭い郡韋銜璣�4時半。俺は3日前と同じ松本駅近くのホテルへとチェックインした。
最後に殘されたトリック。それは登山屆の謎だ。10月9日、金曜日。上高地インフォメ��伐紲螗互螗咯‘に出された登山屆は紛(まぎ)れもなく耍麤g本人が書いたものだ。そこには、同日に涸沢小屋、10日、土曜日に北罰Ц噝∥蕒丐嗡薏從瓚à瑫��臁ⅰ杆{沢俊英」を名仱牒握撙�瑢g際に泊まってもいる。一方、耍麤g本人は前日の8日、木曜日の深夜、松本駅近くのホテルへとチェックインし、登山屆が上高地インフォメ��伐紲螗互螗咯‘に出された9日も連泊。松本を発ったのは10日だが、その日は平湯溫泉の宿に泊まっている。そして、平湯溫泉の宿を早朝チェックアウトした11日、日曜日の午後、涸沢嶽沢で遺體となって発見されたのだ。つまり、登山屆は耍麤g本人によって書かれたものだが、いつの時點の事かは分からないが、彼の手を離れて別人の手へと渡り、その人物が北罰Ц噝∥蕒廝薏搐工毪蓼恰杆{沢俊英」を演じていた事になる。それは一體誰なのか? 深山は、登山屆が出された9日は六本木ヒルズのヌ��佶毳些‘グへと出社し、10日の夜は平湯溫泉の宿で耍麤gと同宿、11日の早朝、耍麤gと共にチェックアウトし、その日の午後、彼を殺害した筈だから、9日に登山屆を上高地インフォメ��伐紲螗互螗咯‘へと出す事は物理的に不可能なのだ。だとすると、深山には共犯がいた事になる。それは一體誰なのか? そして、何故、耍麤g殺しになど荷擔したのだろうか?
10月23日、金曜日── 。
俺は登山屆の謎に悶々としながらホテルをあとにした。今日は新罰Ц噝肖�輕幔àⅳ齲┗丐筏摔筏皮い勘貝蹇德·蛟Lねようと思う。
ホテルをチェックアウトする直前、俺は北村が今現在働いていると言う父親経営の建築設計事務所を眨�伽俊B殬I別電話帳(タウンペ��福─驇冥病⑺殺臼心冥謂êB設計事務所で、しかも北村の父親が経営と言うと???ああ、あった。「北村建築設計事務所」。恐らく、これだろう。場所は長野自動車道の松本インタ��隸Д螗袱��1kmほど南。松本駅からは松本電鉄上高地線に仱盲�4つ目の駅、大庭駅から程近い場所にある。
大庭駅で電車を降り、數分歩いた所に北村建築設計事務所はあった。事務所へと蓿�曜扭ぐ長坤��栴}はここからだ。俺は名前だけとは言え北村の事を知っている。しかし、向こうは、俺の顔どころか名前すらも知りはしない。受付で彼を訪ねた事情等とても言える訳も無く、はてさて、どうやって北村を呼び出そうか?と思案していると、事務所から一人の女性職員が出てきた。俺は、すかさず聲を掛ける。
「あの��ⅳ工撙蓼護蟆�
「はい、何でしょう?」
「こちらに北村康隆さんは、お勤めですか?」
「はい、おりますが」
「今日は出勤しておられます?」
「ええ、中におります」
これで北村がここに勤め、今、目と鼻の先、事務所の中にいる事がハッキリした。
「実は、僕は彼の學生時代の友人でして、所用で枺�─�殫L野へ來たついでに、松本に帰っていると聞いていた彼を訪ねて來たのですが???」
俺の口から咄嗟(とつさ)に噓が零(こぼ)れた。まあ、「噓も方便」と言うし、これ位の噓なら神様も許し