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序章 奇妙な滑落者
槍ヶ嶽と槍ヶ嶽山荘 (平成19年10月10日 著者撮影)
俺の名は漢波羅響資(かんばら…きょうすけ)。宇多(うだ)天皇の血を引く舊華族?漢波羅家の三男坊。漢波羅家は妗畟}時代以來、大跡�裕à坤い勝搐螅─蜉叧訾筏皮�抗�遙à�玻─恰⒚髦尉S新後も伯爵(はくしゃく)だったが、昭和22年、日本國憲法の施行で華族制度が廃止。今ではごくごく普通の家???と言いたい所だが、あいにくとまだまだ華族だった頃の名殘(なごり)がある。
二人の兄は出來も良く、同じ舊華族の令嬢と結婚し子寶にも悾�蓼欷皮い搿¥餞欷吮趣伽瓢長悉妊預Δ取�36才にもなって未だ獨身。おまけに定職にも就かずフリ��楗螗工適聳隴頦筏皮い搿¥蓼ⅰ⑸�蓼煊�盲繉g家に、両親、兄夫婦と同居 ── 所謂(いわゆる)、今流行(はや)りの「パラサイトシングル」だから、食うにはちっとも困っていないし、二人の兄と摺�ぁ�長蟿偈謿輧崳à�蓼蓿─式瘠紊�瞍�裕à筏紺Γ─撕悉盲皮い搿�
大學は一応、某名門校へと進學したが、在學中、兄達に初めて連れて行かれた北アルプス燕嶽(つばくろだけ)がきっかけで、すっかり登山に填(はま)ってしまった。お陰で勉強そっちのけで、あちらこちらの山へと登った俺は、単位もギリギリ。辛うじて卒業出來た口だ。だから、兄達は未(いま)だに俺を山へ誘った事を後悔している。もっとも、俺にしてみれば、三度の飯より好きな山の楽しさを教えてくれた兄達に感謝しているし、たとえ兄達に誘われなかったとしても、他の誰かが俺を山へと誘った事だろう。結果は同じ。遅かれ早かれ、登山に填ったであろう事は確かだ。そんな俺だが、最近では単なる山登りでは飽きたらず、以前、槍ヶ嶽(やりがたけ)から罰Ц哌B峰を縦走した際、泊まった北罰Ц噝∥蕒違嘯ぅ趣藦昴激筏皮筏蓼盲俊�
四月末、小屋のオ��抓螭裙菠藰爍�3000メ��去毪味牼€で小屋仲間達と衣食住を共にする新生活が始まった俺も、登山シ��亥螭飩K盤の十月ともなれば、流石(さすが)にいっぱしの山男になっていた。そんな十月のある日、あの事件は起きた。
10月11日、日曜日、午後3時20分── 。
槍ヶ嶽山荘を発(た)ち、大キレット、北罰Ц咴饋⒑詻g嶽(からさわだけ)を越えて來た一人の登山者が、顔面蒼白、息も絶え絶えに白出(しらだし)のコルに建つ罰Ц咴郎角Pへと駆け込んで來た。
涸沢嶽と罰Ц咴郎角P (平成20年9月8日 著者撮影)
「ハア、ハア???」
「どうされました? 大丈夫ですか?」
「すみません???ひ、人が???」
「人が何なんですか?」
「人が???滑落(かつらく)しているんです???」
「滑落者? どの辺りですか?」
「丁度、涸沢嶽の頂上で休憩してた時、飛騨(ひだ)側の斜面に目をやったら人が血を流して倒れていたんです」
早速、 罰Ц哌B峰の飛騨側を管轄する岐阜県警奧飛騨署へと連絡。日沒も近い午後4時30分、死亡が確認された滑落者は救難ヘリに任せ、現場検証をしていた捜査員達は今夜の宿となる罰Ц咴郎角Pへと引き上げた。
10月上旬、涸沢カ��毪摔霞t葉を目當てに全國各地から登山者が集まる。真っ赤に色づくナナカマドと、前罰Ц咴饋�路'高嶽、涸沢嶽、北罰Ц咴坤未蟀侗冥�棨轆勝固魍�峽鄤氦筏頻扦盲皮�毪坤堡蝸齻帳�浞證摔ⅳ輟⒑詻gに二軒ある小屋は常に満杯だ。窮屈な小屋泊を敬遠する登山者はテントを設営するのだが、こちらも「テント村」と呼ばれる通り、所狹(せま)しと色